岐阜城(稲葉山城)は、岐阜市金華山にある。
金華山は標高328mで、古くは稲葉山と呼ばれ、建仁元年(1201)鎌倉幕府政所(まんどころ)執事を務めていた二階堂行政(まさゆき)が、最初に城を築いたといわれている。
のち、美濃守護 土岐氏の時代には守護代の斎藤氏が代々居城した。
天文3年(1534)斎藤道三(どうさん)によって戦国の城として再興され、子の義龍(よしたつ)、孫の龍興(たつおき)が城主となった。
永禄10年(1567)道山娘婿の織田信長が斎藤龍興と戦って稲葉山城を落とし、入城した。
信長公記などでは、信長は入城に際して、古代中国周王朝の発祥の地にちなんで「岐阜」「岐山」「岐陽」などの候補から「岐阜」の名を選んだとしており、
このころから「井之口」と呼ばれていた町の名も「岐阜町」と呼ばれることとなった。
信長は楽市場を保護するなど城下町の整備につとめ、山下の居館の華麗さ、城下の繁栄はルイスフロイスの日本史に詳しく記されている。
その後、信長長男の織田信忠、信長三男の神戸信孝、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、信長の孫(三法師)織田秀信が岐阜城主となった。
慶長5年(1600)織田秀信は西軍の石田三成方に味方して徳川方と戦い、福島正則、池田輝政に攻められて開城した。
慶長6年岐阜城は廃城となり天守閣、櫓などは取り壊されて奥平信昌の加納城に移築され、江戸時代には金華山頂に天守閣が建てられることはなかった。
明治43年(1910)に木造の模擬城が建てられたが、昭和18年(1943)に焼失し、昭和31年(1956)に岐阜市民の浄財によって三層四階の天守閣が再建された。
平成9年(1997)に改修され、内部は展示室及び展望台となっている。また併設して岐阜城資料館がある。
金華山ロープウェー山頂駅から徒歩10分。麓の岐阜公園に来場者用駐車場がある。
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