五代五兵衛歌碑は、和歌山県高野山奥の院にある。
中の橋から御廟に向かって参道を約50m登り、27町石向かいの階段を上った位置に歌碑がある。
階段の途中には、「大阪盲唖学校創設者 五代目 五代五兵衛之墓」と彫られた石柱がある。
五代五兵衛之墓に隣接して自然石の歌碑が建てられており、次のように刻されている。
(南面)
盲と唖の教えの道に
盡しても 勲高き
君仰くかも
(西面)
大阪市立盲學校長
従五位 宮島茂次郎 謹詠
五代五兵衛(1849-1913)は、明治時代の社会実業家である。17歳で失明するが、不動産事業などで成功を収め、明治33年私財を投じて大阪盲唖院を開校し、京都盲唖院の創立者 古川大四郎を院長に招いた。
明治40年校舎などを大阪市に寄付し、学院は市立大阪盲唖学校と改称された。
命日には、大阪の盲学校、聾学校関係者が墓参に訪れたという。
五代五兵衛は、パナソニックの創業者である松下幸之助が、少年期に6年間奉公生活を送った五代自転車商会の主人 五代音吉の兄にあたる。
また、大阪盲唖院には、五代の会計兼秘書として幸之助の父 正楠が職を得ていた。
渡邊祐介氏は、五代五兵衛と音吉が松下幸之助の「レファレント・パーソン」であったとしている。→ 「社会起業家・五代五兵衛と私立大阪盲唖院」
当地墓所から約50m北東(御廟側)参道沿いには、パナソニックの供養塔がある。
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