御香宮神社

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は、京都市伏見区桃山御香宮門前町にある。
祭神は、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇ほか6柱が祀られている。

貞観4年(862)9月境内に香りの良い清泉が湧き出て、その奇瑞に因んで清和天皇から「御香宮」の社名を賜ったといわれる。本殿西側に御香水がある。
社名の由来については、もう一つの説があり、筑前国糟屋郡の香椎(かしい)の明神(神功皇后の廟)を勧請し、御香椎の宮の下の字を略して御香の宮としたといわれる。
中世に伏見宮家の庇護を受けて、伏見庄九郷の産土神として信仰を集め、有事の際の郷内の人々の集合場所として利用され、神事の際には猿楽、風流(ふりゅう)、相撲(すまい)などが勤仕されたことが、当時の日記に記されている。

文禄3年(1594)豊臣秀吉は、当社を伏見城の艮(うしとら)(北東)の大亀谷(おおかめだに)に移し、鬼門鎮護の神として、社領300石を寄進した。
現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康の命により、元の場所に造営したものである。
また徳川家康が伏見に滞在中に、徳川御三家の藩祖である紀伊(頼宣)、水戸(頼房)、尾張(義直)および二代将軍秀忠の娘 千姫が生まれたことから、徳川家の産土神として崇敬された。
そのため、現存する古い建物の多くは徳川家から寄進を受けている。

境内南側の大手筋通りには、「黒田節」誕生の地の案内板がある。
当地の伏見桃山で、黒田家家臣の母里太兵衛(もりたへい)が、酒宴で大杯に注がれた酒を見事に飲み干して、福島正則から「呑みとりの槍」を貰い受けたとの話が紹介されている。

大手筋通りの表門は、元和元年(1622)に水戸藩祖の徳川頼房が寄進した伏見城の大手門を移したものと伝えられている。
三間一戸、切妻造り、本瓦葺の薬医門で国の重要文化財に指定されている。
正面の4個の蟇股は、中国の二十四孝の物語(向かって右から揚香(ようこう)、郭巨(かっきょ)、唐夫人(とうふじん)、孟宗(もうそう)が描かれている。

表門を入った西側には、伏見義民の碑(伏見義民事蹟)がある。
幕末の慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いでは、当社は新政府軍(薩摩藩)の陣営となり、南の伏見奉行所にいた幕府軍との戦いの舞台となったことから、本殿南西に「伏見の戦跡」の石碑が建てられている。
社務所内の石庭は、(小堀)遠州流の手法を生かして中根金作氏が作庭したもので、文明9年(1477)銘の見事な手水鉢がある。
10月1日から10日まで催行される「神幸祭(しんこうさい)」は、古くから伏見祭と呼ばれ、洛南一の大きな祭りとして知られている。
近鉄京都線桃山御陵前駅下車、徒歩2分。参拝者用の有料駐車場がある。




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