後藤象二郎供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石北にある。
備後福山 水野家供養塔(水野勝成供養塔)南側に隣接している。
墓石(三面)には、次のように刻されている。
(梵字)後藤家累代之墓
宏徳院殿道譽哲心元曄大居士
明治三十年八月四日後藤家中興之祖
東京芝區高輪南町
正二位勲一等伯爵後藤象二郎未亡人
後藤雲子建立之 菩提所 龍泉院
後藤象二郎(1838-1897)は、明治時代の政治家で逓信大臣、農商務大臣などを務めた。
後藤は土佐藩士の長男して生まれ、義理の叔父 吉田東洋の私塾で学んだ後、藩に出仕するが、東洋が武市半平太に暗殺されて失脚した。
そのため、後藤は江戸の開成所で蘭学、航海術、英学を学んだ。
後藤象二郎は、前藩主 山内豊信(とよしげ)に呼ばれて藩政に参加し、坂本龍馬と土佐藩船夕顔丸で会談し、大政奉還の提案(船中八策)を山内豊信に奏上した。
そして、後藤と山内が15代将軍徳川慶喜に建白書を提出し、大政奉還が成立した。
明治維新後は、大阪府知事など要職を歴任した後、征韓論争で敗れて下野し、大同団結運動を主導するなど自由民権運動の中心となって活動した。
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