橋本若狭旌忠碑

橋本若狭旌忠碑は、奈良県吉野郡下市町の丹生川上神社下社にある。
橋本若狭(1822-1865)は、幕末の尊攘(そんじょう)運動家である。
文政5年12月10日に宇智郡滝村(五條市滝町)の郷士 益田籘左衛門の四男 綱幸 として生まれた。
38歳で大和吉野郡丹生川上神社祠官 橋本信政の養子となり神職を継ぎ、万延元年(1860)宮司となっている。
境内に道場を設けて近隣の若者たちを指導し、二葉天明流柔術を編み出した。
文久3年(1863)天誅組の挙兵に加わり、広橋峠、下市彦根藩陣営焼き討ちなどで活躍した。
その後敗れて伊勢から京都に逃れたが、大坂に潜伏中捕縛され慶応元年(1865)6月4日京都六角牢で処刑された。
辞世として、「川上の神の心をこころにて 濁れる世には澄むとそ思ふ」が残されている。
近鉄吉野線下市口駅からバスで長谷下車すぐ。参拝者用の無料駐車場がある。



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