遍照光院は和歌山県高野山往生院谷(蓮花谷)にある真言宗別格本山である。
本尊は、弘法大師が彫ったという杮不動尊である。
紀伊続風土記には、「名室の随一也、高祖大師放光の勝地なるが故に爾名くと云」と記されている。
開基は、弘法大師で、天長9年(832)創建と伝わる。
その後、性信法親王が何度も当院で過ごしたといわれ、その甥の寛意が住職を務めた。
高野山大火で焼失した後、白河上皇熊野御幸の時に、熊野別当湛増が行在所として当院を造営し、仏種坊心覚が湛増から当院を譲り受けた。
心覚は密教事相の一派常喜院流を開き、この流を往生院流と呼ぶ。
九世覚斅上人は、慈尊院から奥の院までの町卒塔婆を石塔に変えたことで知られる。
寺宝として、池大雅筆紙本著色山水人物図襖絵(国宝)、直庵筆紙本著色屏風、快慶作の阿弥陀如来などを蔵している。
甲斐源氏の流れをくむ盛岡藩主南部家との関係が深く、現在も縁が続いている。
南海電鉄高野山駅からバスで、蓮花谷下車、徒歩5分。