陸奥弘前 津軽家供養塔

陸奥弘前 津軽家供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石北西にある。
奥の院参道から中の橋霊園に登って行く斜面にあり、井伊掃部頭霊屋と美濃大垣戸田家供養塔の間に位置している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、中型五輪塔13基、宝塔1基、石仏2基、墓標2基があり、石壇上に藩主墓が並べられている。
当地墓所は、昭和61年から62年に修復調査が行われ、遍照尊院発行の「旧弘前藩主津軽家墓所石塔修復調査報告」が公刊されている。
石壇上の各石塔は次のとおりである。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 第11代藩主
津軽 順承(ゆきつぐ)
文久4年
(1864)
政徳院殿
修道幻光大居士神儀
 
 ② 第10代藩主
津軽 信順(のぶゆき)
文久2年
(1862)
寛廣院殿
深達了義大居士神儀
文久3年建立 
 ③ 第9代藩主
津軽 寧親(やすちか)
天保4年
(1833)
上仙院殿
権大僧都桃翁舜訽神儀
天保5年建立 
 ④ 第8代藩主
津軽 信明(のぶあきら)
寛政3年
(1791)
體孝院殿
眞境普照大居士
 ⑤ 第7代藩主
津軽 信寧(のぶやす)
天明4年
(1784)
戒香院殿
梅溪常薫大居士
 
 ⑥  第3代藩主
津軽 信義(のぶよし) 
明暦元年
(1655) 
桂光院殿
雪峯宗瑞大居士 
天和3年建立 
 ⑦  第2代藩主
津軽 信牧(のぶひら) 
寛永8年
(1631) 
津梁院殿
権大僧都寛海 
「信枚」とも表記
石壇下に逆修塔がある
 ⑧  初代藩主
津軽 為信(ためのぶ) 
慶長12年
(1607) 
瑞祥院殿
前四品天室梁棟大居士 
寛永4年建立 
 ⑨ 窆髪塔(へんはつとう)  文久元年頃
(1861) 
 宝塔形 文書では
「御遺髪安置尊勝塔」
空・風輪は、修復の段階で
転用されたものという。




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