井伊掃部頭霊屋

井伊掃部頭霊屋(墓所(廟))は、和歌山県高野山の奥の院にある。
奥の院23町石北東に位置し、鳥取池田家供養塔(池田恒興)の北側斜面上段にある。
井伊掃部頭霊屋前には、井伊直弼供養塔が建立されている。

史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、内部に宝篋印塔一基があり、建立時期は「江戸中期か」と記されており、次の記述がある。
「(奥の院の)古絵図には現在霊屋が立つ場所を含め、その他の場所にも複数の「井伊掃部頭」と記された墓所(五輪塔及び霊屋)が確認される。
複数の古絵図で現在位置に霊屋が2棟描かれているが、いずれも屋根形式が入母屋造となっており、当霊屋を示すものかどうかは俄に判断できない。
当霊屋が祀る対象を含め、今後の研究が期待される。」
上記報告書の地区平面図には、当地墓所は「井伊直政霊屋」と記されている。

岩堀元樹氏の「高野山奥の院 家康関係者墓碑」によると、霊屋内部の宝篋印塔の写真が掲載されており、井伊直政の墓碑と紹介されている。

井伊直政(1561-1602)は、徳川家康の重臣である。
遠江の名族 井伊氏の嫡子として、井伊谷(いいのや)に生まれた。
父 直親(なおちか)は、織田、徳川氏と通じているとの理由で、主君今川氏真(うじざね)によって謀殺されたが、当時2歳の直政は死を免れ、天正3年(1575)15歳の時に浜松で徳川家康に対面し、小姓に取り立てられた。
以後、家康旗本軍の有力武将となり、政務にも重要な役割を果たして、徳川家臣団の第一人者となった。
直政軍団の主力は武田氏旧臣で兵具を赤色としたので、井伊の赤備(あかぞなえ)と呼ばれ、直政は「赤鬼」の異称があった。
関ヶ原の戦いでは本多忠勝とともに監軍で諸大名を指示し、戦後は近江佐和山城で18万石を領した。


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