鳥取池田家供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石北にある。
中央の五輪塔前の石柱には、「因幡之國鳥取城主池田侯之墓所」と刻されている。
総高190cmの五輪塔地輪北面(参道の反対側)には、次のように刻されている。(巽三郎氏「紀伊國金石文集成 続編」参照)
濃州岐阜城主
池田三左衛門尉輝政建立
護国院殿前紀伊大守
(梵字)
雄岳宗英大禅定門菩提(略字)
天正十二歳甲申信輝卒
使者岩越二良左ヱ門重貞
五輪塔の被供養者は、池田恒興(信輝)(1536-1584)で、池田恒利(つねとし)と妻養徳院の間に生まれた。
養徳院は織田信長の乳母となったため、恒興は信長の乳兄弟として厚遇を受け、池田氏興隆の基礎を築いた。
天正12年の小牧長久手の戦いで徳川家康に敗れ、嫡男 元助とともに討死し、家督は次男輝政が継いだ。
その後、池田輝政を祖として、岡山藩と鳥取藩は池田家が藩主を務めていたが、
寛永9年(1632)鳥取藩の池田光政と岡山藩の池田光仲が領地の取り換えを命じられ、
宗家光仲の子孫が歴代鳥取藩主を務めた。→ 岡山池田家供養塔
高野山奥の院33町石北には、池田恒興(信輝)供養塔がある。
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期