池田恒興(信輝)供養塔は、和歌山県高野山奥の院33町石北にある。
織田信長墓所の南側約10mのところに高さ221cm(7尺3寸)の五輪塔がある。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。(水原堯榮氏「高野山金石図説」参照)
(東面)
天正十二年丙(甲)申四月九日
護國院殿前紀御(州)太守
(梵字)
雄兵(岳)宗英大禪定門
孝子三左衛門尉輝次(政)公爲親父立
(北面)
家臣竹村藤左衛門
五輪塔の被供養者は、池田恒興(信輝)(1536-1584)で、池田恒利(つねとし)と妻養徳院の間に生まれた。
養徳院は織田信長の乳母となったため、恒興は信長の乳兄弟として厚遇を受け、池田氏興隆の基礎を築いた。
天正12年の小牧長久手の戦いで徳川家康に敗れ、嫡男 元助とともに討死し、家督は次男輝政が継いだ。
その後、池田輝政を祖として、岡山藩と鳥取藩は池田家が藩主を務めた。
当地の供養塔は、池田輝政が建立したものである。
当所から北側約10mにある筒井順慶供養塔の北隣には、恒興の次男 播磨姫路藩主 池田輝政の供養塔がある。→ 織田信長墓所 周辺の石塔
高野山奥の院23町石北には、鳥取池田家供養塔があり、池田恒興の五輪塔が建立されている。
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