筒井順慶供養塔

筒井順慶供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院御廟橋の南西にあり、織田信長墓所の東に隣接している。
高さ100cmの花崗岩製の五輪塔で、地輪には「和刕筒井法印順慶」と刻されている。
筒井順慶(1549-1584)は、戦国時代の大和の大名で、幼名は藤勝(ふじかつ)、藤政と呼ばれ、永禄9年(1566)得度して陽舜房順慶と称した。
永禄2年(1559)松永久秀が大和に攻め込んだため、筒井城を捨てて東山内などに逃れた。
その後、大和の守護として織田信長に仕え、明智光秀の子を養子に迎えるなどして活躍した。
天正10年(1582)本能寺の変で、明智光秀から誘われたが、大和郡山から動かず、光秀には加勢しなかった。
山崎の合戦後に羽柴秀吉に参じて、大和領有を認められた。
「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」で、山崎の合戦の形勢を眺めて、光秀に味方するか秀吉に加勢するかで日和見をしたとの俗説が有名であるが、実際には大和郡山城で軍議を重ねていたという。
その後、豊臣政権下で小牧長久手の戦いなどに参加したが、天正12年(1584)に36歳で病死した。
筒井家は、養子定次が後を継いだが、徳川政権下で豊臣家に内通したとの疑いで、改易された。
南海高野線高野山駅からバスで奥の院前下車、徒歩20分。


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