播磨姫路藩主 池田輝政供養塔

播磨姫路藩主 池田輝政供養塔は、和歌山県高野山奥の院34町石南西にある。
織田信長墓所の東側、筒井順慶供養塔の北隣に位置する。
少し西側に傾いた五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
慶長十八年正月廿五日
     国淸院殿正三品参儀
(梵字)
     泰叟玄高大居士
爲羽柴三左衛門殿御内方建立

池田輝政(1564-1613)は、池田恒興(信輝(のぶてる))の次男として生まれた。→ 鳥取池田家(池田恒興)供養塔
幼名は古新(こしん)、のち三左衛門と呼ばれた。
長久手の戦いで、父恒興、兄之助(ゆきすけ)が討死したため、家督を相続して大垣城主となった。
やがて、豊臣秀吉の命で羽柴氏を称した。
関ヶ原の戦いでは、徳川家康に味方し、その戦功で播磨52万石を領して、池田氏に復した。
輝政は姫路城入城後、秀吉の築いた姫路城を取り壊して、大規模な改修を行い、9か年の歳月をかけて、天下の名城の白鷺城を築いた。
中川清秀の娘 糸子を娶ったが、文禄3年(1594)徳川家康の次女 督姫(とくひめ)富子(法号良正院)を継室に迎えた。
当地の五輪塔の建立者 羽柴三左衛門殿御内方とは、督姫である。



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