法華寺は、奈良市にある光明宗の寺院である。
法華寺の敷地は、もとは藤原不比等の邸宅があった場所で、不比等の没後、娘の光明子(光明皇后)が皇后宮とした。
天平17年(745年)、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである。
その後、天平13年(741年)に出されていた国分寺・国分尼寺建立の詔により、大和の総国分尼寺(法華滅罪之寺)にあてられ、法華寺と改称した。
建立当時は尼僧の修法道場として隆盛したが、平安時代に衰退し、鎌倉時代に叡尊によって再興された。
戦国時代の兵火や地震で、金堂等は失われたが、豊臣秀頼が母淀君の意を受け、片桐且元を奉行として金堂、南門などを復興させた。
本尊の木造十一面観音立像(国宝、像高100cm)は、鮮やかな翻波式衣文を刻む平安時代初期を代表する仏像で、年間3回特別開扉される。
嘉元2年(1304年)の「法華滅罪之寺縁起」では、この像を光明皇后自作と記しており、「興福寺濫觴記」ではインドの問答師という仏師が彫ったと記されている。
例年秋には、国宝の阿弥陀三尊・童子像が一般公開される。
国名勝の庭園内には、「からふろ」と呼ばれる浴室と井戸があり、光明皇后が千人の垢を自ら流したと伝えられている。
現在の建物は、江戸時代の再建で、平成15年(2003年)の解体修理で復元され、国の民俗文化財に指定されている。
和辻哲郎は「古寺巡礼」(昭和21年刊)で、光明后施浴の伝説と光明后と彫刻家問答師について、大変興味深く詳細に論じている。
赤門東側には平家物語ゆかりの「横笛堂」があり、横笛が法華寺で出家して祈りを捧げたお堂といわれている。また、門外には横笛地蔵がある。
JR奈良駅、近鉄奈良駅からバスで「法華寺前」下車、徒歩3分。参拝者専用駐車場がある。
ひな会式は、4月1日から7日に行われ、通常の雛祭りと違い、五十余体の善財童子の像が、本堂内本尊の前に並べられる。
善財童子は、「華厳経」に登場する少年で、悟りを求める心をおこし、五十余人の善知識(先生)を訪ねて旅を続けていく。
本堂には、木造二天頭、乾漆維摩居士坐像、木造仏頭なども安置されている。