横笛の恋塚

横笛の恋塚は、和歌山県かつらぎ町天野の里にある。
平家物語巻第十で、建礼門院に仕えた「横笛」の悲恋の物語が描かれている。
平重盛の家来 斎藤時頼(滝口入道)は、美しい横笛に心をひかれ、互いに愛し合うようになった。
しかし、時頼の父は、「世にあらむ者(栄えている平家一門)」が「世になき者(身分の低い者)」を思うのは許されないと厳しく諫めた。
そのため、時頼は嵯峨野の往生院で出家して、名前を滝口入道と改めた。
横笛が滝口入道に会いたい一心で、嵯峨野まで行ったが、入道は「ここには、そのような人はいない。」と答えさせ、女人禁制の高野山「清浄心院」に移って、さらに厳しい修行を重ねたという。
横笛は、奈良の法華寺で仏門に入った後、高野山に近い天野の里で庵を結び、19歳の春に亡くなったと伝えられている。

横笛の恋塚は里人が建てたもので、滝口入道と横笛の詠んだ次の歌が紹介されている。
「そるまでは うらみしかども あづさ弓 まことの道に いるぞうれしき」(入道)
  (あなたが尼になるまでは、私のことを恨んでいたが、そのあなたも仏道に入ったと聞いてうれしい)
「そるとても なにかうらみむ あづさ弓 ひきとどむべき こころならねば」(横笛)
  (尼になったといっても、何も恨む事はない。とても引き止めることのできるようなあなたの決心ではないから)

塚の横にある石碑には、高野山大圓院住職第八世瀧口入道との相聞歌「横笛の歌」が刻されている。
  やよや君 死すれば 登る高野山
   恋も菩提の 種とこそなれ
JR和歌山線笠田駅から、かつらぎ町コミュニティバスで「旧天野小学校前」バス停下車。



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