清浄心院は、和歌山県高野山奥之院入口の一の橋西側にある真言宗の別格本山である。
本尊は弘法大師像で、入定を翌日に控えた承和2年(835年)3月20日に空海が自ら彫刻し、像背後に「微雲管(みうんかん)」の三字を書いた像と伝えられている。そこから「廿日大師」と呼ばれ、現在は秘仏とされている。
毎年、本尊の縁日(現在は4月20日)には御開帳され、盛大な法要が営まれる。
天長年間(824-833年)に空海によって開かれ、もと喜多坊と称していたが、勅により清浄心院と号し、その後平清盛の子宗盛が堂宇を再建したという。
平家物語巻十には、嵯峨往生院に出家遁世していた滝口入道が横笛への思いを断ち切るために高野山に登り、当院に住したと記されている。
戦国時代には、上杉謙信の祈願所となり、謙信や上杉景勝の書状などを多数蔵している。奥の院にある上杉謙信霊屋一棟(国指定重要文化財)は、当院が管理している。
また佐竹義重も逆修供養をしており、佐竹義宣、義憲の書状も所蔵している。→ 奥の院 佐竹義重霊屋 羽後秋田佐竹家墓所
運慶作の阿弥陀如来立像、中将姫筆の九品曼陀羅図、当麻建立之図(いずれも国の重要文化財)を有しており、本堂には、夏目漱石、陸奥宗光の位牌が安置されている。
境内には、豊臣秀吉が花見を催したという名木の傘桜が植えられている。