上杉謙信霊屋は、和歌山県高野山の奥之院22町石北東にある。
上杉謙信と景勝の廟墓(びょうぼ)である。
謙信の名は天正2年(1574年)、45歳で上洛した時、高野山も訪れ、その折贈られた法名であるといわれている。
建屋内部は格子天井を張り、須弥壇上に二基の石碑があり、位牌刻銘には次のように記されている。
(右)為権大僧都法印謙信
(左)為権大僧都法印宗心
霊屋の創建は詳らかでないが、様式手法から江戸時代初期の造営と推定されている。
上杉謙信は、天正6年(1578年)3月13日に死亡した。「高野山文書」の天正7年の頃に「謙信廟前にて晝夜の勤行」とあるので、このころに何らかの廟舎が造られていた。
また、現在合祀されている謙信の子景勝は、元和元年に亡くなり、謙信廟の東隣に廟舎が建てられていたことが紀伊続風土記に記されている。
従って、紀伊続風土記の記された天保年間(1830-1844)までは、2棟が並列していたことがわかる。
その後、合祀され、修理とともに塗装も塗り直されている。以降明治時代にも修理され、昭和になって檜皮屋根が銅板葺に変更された。
昭和40年5月に重要文化財に指定された後、台風の被害で解体修理が行われ、本来の檜皮葺に復した。→ 上杉景勝供養塔