上杉景勝供養塔

上杉景勝供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院22町石北東にある上杉謙信霊屋の約20m東側にある。
五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
(正面)
  出羽米澤城主上杉中納言藤原景勝
  元和九年三月二十日逝
        奉爲覺上院殿
  (梵字)権大僧都宗心
        法印成菩提
  施主十三代後裔正三位勲三等
  伯爵上杉茂憲建之
  明治三十七年四月三十日
(裏面)
      家令 姉崎家保
                 奉行
      家従 堀尾金彌
  (梵字)
      宿坊 清浄心院

上杉景勝(1555-1623)は、安土桃山時代、江戸時代初期の大名である。
越後坂戸城主の長尾政景(ながおまさかげ)と上杉謙信の姉を父母として生まれ、父の死後謙信の養子となった。
豊臣秀吉に従い、越後統一後、徳川家康と対立し、出羽米沢領30万石に減封となった。
没後、遺骨は高野山の清浄心院に納められ、遺灰と衣冠は米沢市の上杉家御廟所に納められた。
当地の五輪塔は、米澤藩13代藩主上杉茂憲(もちのり)が、明治37年に建立したものである。



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