本阿弥七基石塔 (七ツ石)

本阿弥七基石塔(七ツ石)は、和歌山県高野山奥の院の豊臣家墓所北西にある。
「一閑紹鴎五輪卒塔婆」と表示する資料もある。
紀伊国名所図会には、本阿彌七基石塔として次のように記されている。
「此中に一閑紹鴎居士の碑あり。 弘治元乙卯十月廿九日卒とあり。
其外孫今井宗薫、当山一心院谷福生院に寓居し、建つるところという。
塔毎に空、風、火、水、地の漢字を鐫れり。」
一閑紹鴎は、武野紹鴎(1502-1555)のことで、戦国時代の堺の豪商、茶の湯名人である。
女婿の今井宗久、津田宗久、田中宗易(千利休)などが弟子となった。
高野山文書では「七ツ石」として紹介され、向かって右端が武野紹鴎の五輪塔で、地輪中央に「一閑紹鴎居士」と刻まれている。
七基は全て砂岩製で、17世紀前半に建立された。
武野紹鴎の墓所は、堺市の南宗寺にある。

宮川良彦氏の「弘法大師と高野山」によると、五基は順修で、二基は逆修碑であるという。
水原堯榮氏「高野山金石図説」、愛甲昇寛氏「高野山の石造美術」によると、向かって右側から五輪塔地輪に次のように刻されている

(第一基)弘治元乙卯年 「地」 一閑紹鴎居士 十月廿九日
(第二基)文禄二癸巳年 「地」 大府郷(知)法印壽林宗久居士 八月五日
(第三基)文禄三甲午年 「地」 瑞松院春芳宗榮禅定尼 七月五日
(第四基)慶長六辛丑年 「地」 雲岫宗心禅定尼 五月(三月)廿五日
(第五基)慶長拾七壬子年 「地」 泰雄英春禅定尼 八月四日
(第六基) 逆修 「地」 天外宗薫
(第七基) 逆修 「地」 不盡宗呑

第二基は、今井宗久(1520-1593)、第三基は、武野紹鴎の娘、宗久の妻の五輪塔といわれる。
建立者の今井宗薫(第六基)(寛永4年没)は、宗久の子である。第7基は、今井宗呑(元和9年没)供養塔である。


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