豊臣家墓所

豊臣家墓所は、和歌山県高野山の奥の院にある。
この墓所には、豊臣秀吉(1537-1598)とその母、秀吉の弟である大納言秀長と夫人など豊臣一族の墓がある。
現在、石塔が11基並んでいる。
そのうち、中央の1基(303cm)は、昭和15年(1940年)、豊公会によって造立されたもので、京都の豊国廟から霊土を移したという。
五輪塔の正面には、「豊臣太閤秀吉公之墓」と記されている。
この五輪塔の内部には、秀吉の衣冠束帯姿の古い木造が納められている。

紀伊名所図会には、江戸時代の奥の院が描かれており、そこには10基の石塔が描かれている。
また、宝永4年(1707)に描かれた「奥の院絵図」(金剛峯寺蔵)には、下の写真の通り10基の石塔が描かれ、8基には次の通り石塔名が記されている。
大納言殿北方、大光院殿前亜相、太閤秀吉公、春厳貞松、前関白秀次公、石田治部少輔、三位法印、御上臈

「紀伊国金石文集成」「和歌山県の文化財第一巻」「近世大名墓の成立」「高野山金石図説」「高野山資料ー五輪塔拓影集」「木下浩良氏講演資料」によると、次の石塔が説明されている。
①宝篋印塔 総高 四尺八寸
 (銘文)不明(剥落して文字無し)
②三位後室逆修塔(L3) 豊臣秀吉の姉 豊臣秀次の母 「智(とも)の方」123.5cm → 瑞龍寺(村雲御所) 豊臣秀次の墓(高野山光臺院)、瑞泉寺
 (銘文)天正廿年 ア 三位法印後室 逆修 五月七日
③法性院殿五輪塔 総高六尺 水輪以上の四輪は他石
 (銘文)施主生國相刕住 浅野清兵衛 友重立之
     法性院殿 ア 爲 菩提 接譽得授大姉 慶安四天三月廿一日入寂
④北方慈雲院逆修塔(L1) 豊臣秀長の正室 198cm
 (銘文)大納言殿北方慈雲院 ア 芳室紹慶 逆修 天正十九年五月七日
⑤豊臣秀長塔(R1) 豊臣秀吉の異父弟 総高六尺
 (銘文)大光院殿前亜相 ア 春岳紹榮大居士 天正十九年正月廿二 → 大光院 大納言塚
⑥青厳貞松逆修塔(R2) 豊臣秀吉の母堂 170cm
 (銘文)天正十五年 ア 青厳貞松 逆修 六月廿一日
⑦五輪塔地輪の上に不動明王石仏 勝海院殿 → 安芸浅野家供養塔(浅野長勝 勝海院)
 (銘文)法印隆観 泰春房 寶歴廿?辰 六月三日寂
     勝海院殿 ア 金光居士 天正三乙亥九月八日寂     
⑧樹正院殿五輪塔 秀吉養子息女 豪姫(前田利家四女、宇喜田秀家正室) → 金沢市野田山の前田家墓所
 (銘文)前相國秀吉公御養子 息女 樹正院殿 ア 逆修 命室壽光
     慶長廿年卯月十五日
⑨玉厳麟公神童塔(L2) 豊臣秀吉の長男 鶴松 180cm → 京都市妙心寺 塔頭玉鳳院
 (銘文)天正廿秊 ア 玉厳麟公神童 浅野弾正少弼造之 二月時正
⑩御上臈逆修塔(R5) 豊臣秀吉の側室淀殿 (秀吉正室 北政所ねね(おね)との説もあり) 170cm
 (銘文)天正十七己丑 ア 御上臈 逆修 七月初三日 → 淀君 豊臣秀頼五輪塔 太融寺 高台寺

浅野弾正は、浅野長政(浅野長勝養子)である。 豊臣秀吉の正室高台院も浅野長勝養女であった。→ 高台寺
京都市東山区の阿弥陀ケ峰山頂(標高196m)には、豊臣秀吉の墓所豊国廟がある。
例年、豊臣秀吉命日の8月18日には、当地の豊臣家墓所で、豊太閤忌の法要が行われ、読経に続いて、「南無豊国大明神」という神号が唱えられる。
南海高野線高野山駅からバスで奥の院前下車、徒歩20分。




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