大光院

大光院は、京都市北区にある大徳寺の塔頭寺院である。
文禄元年(1592)に奈良の大和郡山に建立された豊臣秀長の菩提寺を、藤堂高虎が文禄4年(1595)に大徳寺(金龍院南、高桐院西)に移し、古渓宗陳(こけいそうちん)を開祖として創建した。
文政7年(1824)に焼失し、のちに再建された。昭和30年(1955)に同じ山内で、現在地に移築された。

文政年間(1818-1831)に再建された客殿には、開祖 古渓宗陳と二世 蘭叔宗秀(らんしゅくそうしゅう)の木像、三回忌法要の際に作られた豊臣秀長の木像が安置されている。
古渓宗陳(1532-1597)は、千利休の参禅の師であり、秀長葬儀の際には導師を務め、秀長の戒名を「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」と定めた。

客殿内を飾る襖絵「黒雲龍図(こくうんりゅうず)」は、客殿再建時に寄進されたもので、奥州 伊達家伝来の狩野探幽筆の屏風を襖に直したもので、墨の濃淡を巧みに用いて迫力のある龍が描かれている。

客殿と書院の間には、茶室「蒲庵(ほあん)」がある。蒲庵という名称は、開祖 古渓宗陳の庵号に由来する。
移築前の蒲庵の露地には、黒田長政、加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ一つずつ石を寄進したということから「三石(みついし)の席」とも称される。

境内墓所には豊臣秀長と藤堂高虎の五輪塔がある。
豊臣秀長(1541-1591)は、安土桃山時代の武将で、豊臣秀吉の弟である。
大和、紀伊と和泉、伊賀の一部を加えた100万石を領し、大和郡山を居城とし、大和大納言と呼ばれた。→ 大納言塚

京都市バス建勲神社前下車、徒歩2分。




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