大徳寺は、京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山である。
山号は龍寶山で、本尊は釈迦如来である。
正中元年(1324年)の創建で、開基は赤松則村、開山は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、小院大徳庵に始まる。
花園上皇、後醍醐天皇の祈願所となり、嘉暦元年(1326年)に法堂の開堂式が行われた。
元弘3年(1333年)に後醍醐天皇から「本朝無双禅苑」の勅翰を賜って、南禅寺と同格の五山の第一位に推された。
しかし、建武の新政崩壊後は、夢想門派に帰依した足利政権のもとで寺勢は衰退し、至徳3年(1386年)に足利義満により十刹の第9位に下され、永享3年(1431年)には、十刹の位を辞している。
文明6年(1474年)一休宗純が、堺の豪商の援助を得て再興に力を尽くした。元正10年(1582年)豊臣秀吉が織田信長を当寺に葬り、黒田長政らの諸大名も寺内に諸院を寄進し、施設の整備が進められた。
広大な寺域には、国宝の唐門、方丈をはじめ、勅使門、三門(山門)、仏殿、法堂、寝殿、庫裏、経蔵などの伽藍が並び、周囲には塔頭群が広がっている。→ 高桐院 大光院 龍源院
二層楼閣の三門は、天正17年(1589年)に千利休が檀越となって完成させたもので、金毛閣の名で知られる。
楼上に安置された利休の木像は、三門を通る人の上に置かれる形となり、豊臣秀吉の不興を買い、利休が死に追い込まれたことで知られている。
寺宝は非常に多く、建造物のほか、茶室や庭園、墨蹟や水墨画など茶の湯に関係する秀逸な文化財が残されている。
京都市バス大徳寺前下車、徒歩3分。