龍源院

龍源院(りょうげんいん)は、京都市北区臨済宗大徳寺の塔頭で、大徳寺南派の本庵である。名称は、大徳寺山号龍寶山の「龍」と、今日の臨済禅で唯一つ存続している松源一脈の「源」の両字からなる。
文亀2年(1502年)、大徳寺第72世住職 東溪宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登の領主畠山義元が、豊後の大友義長らとともに創建した。
重要文化財の方丈、玄関、表門は、いずれも創建当初のもので、方丈は大徳寺山内最古の建物と言われ、禅宗の典型的な形式を示している。
方丈の南、東、北に三つの庭園がある。北側の龍吟庭(りょうぎんてい)は、苔の上に三尊石が建つ須弥山式枯山水の名庭で室町時代の作と伝えられている。
南側の方丈前庭を「一枝坦(いっしだん)」という。
これは開祖の東溪宗牧が、釈尊の拈華微笑(ねんげみしょう)という一則の因縁によって大悟し、その師、実伝和尚から賜った室号の霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)から名付けられた。
白砂の大海に苔と石組で鶴亀を配した蓬莱式の庭園である。
東の東滴壺(とうてきこ)は、日本最小の石庭で、庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ円い波紋は一滴の水が滴り落ちる姿を表わしている。
一滴の水が小川となり大河となり、ついには大海となる様に、一滴の大切さ、一滴がそのまま大海につながっている事を表現している。
また、書院南側の滹沱底(こだてい)は、宗祖の臨済禅師が住んだ中国河北の鎮州城の南に流れる滹沱河から名付けられた。
聚楽第の阿吽の礎石があり、阿吽の石庭と呼ばれる。
寺宝として、豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝えられる四方蒔絵の碁盤、天正11年(1583年)在銘の日本最古の種子島銃などがある。
京都市バス大徳寺前下車、徒歩10分。大徳寺総門東側の参拝者駐車場を利用できる。



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