酬恩庵一休寺は、京都府京田辺市にある臨済宗の寺院である。
一休禅師(1394-1481)が晩年を送った寺で、通称「一休寺」と呼ばれている。
当寺の元の名は、妙勝寺と云われた。
鎌倉時代の臨済宗の高僧 大應国師 南浦紹明(なんぽしょうみょう)が、中国の虎堂和尚に禅を学び、帰朝した後、禅の道場を建てたのが始めである。
その後、元弘の戦火にかかり荒廃していたが、康正2年(1481)紹明の六世の法孫にあたる一休宗純が再興し、師恩に報いる意味で、酬恩庵と号した。
当時一休は63歳で、81歳で大徳寺住職となった後もこの寺から通い、88歳で示寂した。
総門を入った左側に、「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)」の石碑が建てられている。
これは、一休自筆の七仏通戒(しちぶつつうかい)の偈の中の詞白で、釈迦の弟子である阿難尊者の作といわれ、
数々の悪行をすることなく多くの善行をすれば自然に心が清く美しくなるという仏教の教えを示している。
総門を入り、浴室(国重文)を右に折れると、「宗純王墓」(一休禅師墓所)がある。
一休は、応永元年(1394)に後小松天皇と日野照子との間に生まれているため、墓所は宮内庁が管理しており、墓所門扉には、菊花の章がある。
境内の建造物としては、足利義教寄進の本堂、慶安3年加賀藩三代藩主前田利常寄進の方丈、庫裡、唐門、鐘楼、浴室、東司等がある。
庭園は、虎丘庭園(室町時代)、方丈庭園(江戸時代)があり、ともに禅院枯山水の庭で、名勝指定を受けている。
これらの庭園は、松花堂昭乗、詩仙堂を建てた石川丈山、淀藩家老で文人の佐川田喜六の3人の作である。
墓地には、能楽観世流三代音阿弥、十五代元章、十九代清興、観音寺城主佐々木承禎、茶人寸松庵などの墳墓がある。
JR学研都市線京田辺駅下車徒歩20分、参拝者用の有料駐車場がある。