稲畑汀子句碑

稲畑汀子句碑は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院其角句碑と御供所を結ぶ参道の中間地点にある。
石碑には次のように刻されている。
(前面)  萬丈の杉の深さや五月闇  
                   汀子
(裏面)  平成十一年十一月七日
        総本山 金剛峯寺

五月闇は、夏の季語で、梅雨時のころの鬱蒼とした暗さをいう。
稲畑汀子(1931-2022)は、昭和後期から平成時代の俳人である。
高浜虚子の孫、高浜年尾の次女で、稲畑順三と結婚した。
父の高浜年尾没後、昭和54年(1979)から「ホトトギス」を主宰した。
花鳥諷詠をとなえた祖父の作風を引き継ぎ、昭和62年に日本伝統俳句協会を設立し、会長となった。
平成25年「ホトトギス」の主宰を長男 稲畑広太郎(廣太郎)に引き継いで名誉主宰となった。→ 高浜虚子句碑 高浜年尾句碑



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