高浜虚子句碑は、和歌山県高野山奥の院の御供所南側にある。
「炎天の空美しや高野山」の句が刻されている。
裏面には、「昭和廿六年六月十日 金剛峯寺 第一回高野山俳句大会記念」とある。
昭和2年の句で、昭和26年6月の高野山俳句大会に際して、金剛峯寺境内に建立された。
高浜虚子(1874-1959)は、明治から昭和にかけての俳人、小説家である。
本名は清で、父は旧松山藩剣術指南役の池内信夫である。
松山市に生まれて、同級生の河東碧梧桐を介して正岡子規に師事した。
松山で創刊された「ホトトギス」を東京に移して、俳句と文章の発表を続け、1905年からは夏目漱石の「吾輩は猫である」をホトトギスに連載している。
高浜虚子は高野山を訪れた際に次の句を作っている。
「こなたへと法(のり)の高野の道おしへ」
「月の坂高野の僧に逢ふばかり」
昭和29年文化勲章を受章し、昭和34年(1959)に85歳で没する時に「人の世の今日は高野の牡丹見る」と詠んだという。→ 高野山内の句碑