稲本保之輔君紀念碑は、和歌山県かつらぎ町宝来山神社境内にある。
稲本保之輔(いなもとやすのすけ)は、和歌山県伊都郡西部地区を代表する有力な政治家で、和歌山県会議員をつとめた。
大正7年刊行の和歌山県伊都郡誌によると、産業振興に努めたほか、私学校を創設したり、日刊紀陽新聞発行にも参画している。
明治21年(1888)秋に、和歌山県治安裁判所の出張所(土地の登記事務を扱う役所)の設置場所をめぐって、伊都郡内の東部と西部で争いがあり、暴動事件まで発生した。
稲本保之輔は、その中心人物として参加し、設置場所が東部の橋本に決まったため、事件後の明治21年11月14日自宅土蔵の2階で割腹自決し、38歳の生涯を閉じた。
その一周忌にあたる明治22年11月14日に笠田村有志の手で、伊都郡東村の妙楽寺境内の大樟の側に石碑が建てられ、その後昭和49年(1974)に宝来山神社境内に移された。
JR和歌山線笠田駅下車、徒歩20分。参拝者用の駐車場がある。