伊勢桑名城主 本多忠勝供養塔

伊勢桑名城主本多忠勝供養塔は、和歌山県高野山奥の院の25町石東にある。
宝篋印塔が2基建てられており、向かって右の高い方が本多忠勝供養塔、左の低い方が本多忠勝夫人於久(おひさ)の方供養塔である。

本多忠勝供養塔には、次のように刻されている。
   生國三刕岡崎住人
       今勢刕桒名城主
    本多中書 藤原朝臣忠勝
   西岸寺殿前中書
   長譽良信居士
    施主藤原朝臣本多美濃守
              忠政敬白
    慶長十五庚戌天十月十八日

本多忠勝夫人於久(おひさ)の方供養塔には、次のように刻されている。
    勢州桒名城主
    藤原朝臣忠勝内室
    見性院殿
    蓮譽光信大姉
   施主本多美濃守忠政
   慶長十八丑歳九月十四日

本多忠勝(1548-1610)は、徳川家康に仕えた武将で、酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに徳川四天王と呼ばれた。
父は忠高、母は植村新六郎氏義の女で、幼名鍋之助、通称平八郎と呼ばれた。
武功によって頭角を現し、武田信玄との戦いでも勇敢に戦い、信玄の小杉左近は、
「家康に過ぎたるものが二つあり唐(から)の頭(かしら)に本多平八」とうたったという。
天正18年(1590)上総国(千葉県)大多喜城主(10万石)となり、慶長6年(1601)伊勢桑名(10万石)に移封となり、同地で没した。
墓所は、桑名市清水町の浄土寺にある。

東側に大型五輪塔が2基あり、参道側は大和国郡山新田藩(現在の奈良県)初代藩主本多政信(1634-1662)供養塔である。本多忠勝の長男 本多忠政(後に姫路藩の初代藩主)の次男が本多政信である。
西側参道側の五輪塔は、浜田藩二代藩主本多忠盈(ただみつ)(1732-1767)供養塔である。本多忠勝の九代目の子孫にあたる。



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