姫路城主 本多忠政供養塔

姫路城主 本多忠政供養塔は、和歌山県高野山奥の院25町石北東にある。
筑後久留米有馬家供養塔出羽庄内酒井家供養塔の間にある。

五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
生国三河國今者播州姫路之
城主本多美濃守殿御追膳
     大乾院殿前拾遺
(梵字) 爲秋譽長岳道悟
     大居士神儀御菩提(略字)
施主本多甲斐守殿政朝公
寛永九壬申年八月十日造立之

本多忠政(1575-1631)は、徳川家康重臣であった本多忠勝の長男である。→ 伊勢桑名城主 本多忠勝供養塔
父とともに家康に仕え、天正18年(1590)小田原征伐で初陣を果たし、父とともに岩槻城を攻めて軍功をあらわした。
そして、家康の長男 岡崎三郎信康の次女 熊姫を娶っている。
慶長5年関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠に従い、真田正幸の拠る信濃国上田城を攻めた。
慶長14年(1609)父の忠勝が隠居したため、慶長15年父の遺領桑名十万石を継いだ。
大坂の陣でも功績をあげ、元和3年(1617)5万石を加増して、播磨国姫路に転封し、同4年に姫路城を修築した。
忠政の嫡男 本多忠刻(ただとき)は、大坂夏の陣の後、豊臣秀頼夫人の千姫と婚姻した。→ 天樹院 千姫供養塔
当地五輪塔建立者の本多政朝は、忠政の次男で、寛永3年(1626)兄の本多忠刻が病死すると、宗家の嫡子となり、寛永8年(1631)姫路藩第2代藩主となった。



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