姫路城主 本多忠政夫人(熊姫)供養塔

姫路城主 本多忠政夫人(熊姫)供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町石北東にある。
松平(結城)秀康及び同母霊屋の北側に隣接しており、「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」(案内図)には、「三河本多美濃家供養塔」と表示されている。
五輪塔地輪には次のように刻されている。
生國三刕岡崎今者播刕姫路之
城主本多美濃守御前方御菩提
      妙光院殿
(梵字)
      快窓祏慶大姉
施主孝子本多甲斐守同能登守建之
  □寛永三丙寅年六月廿五日
(裏面)
宿坊 五之室
大徳院 宥雅

本多忠政(1575-1631)は、徳川家康重臣であった本多忠勝の長男である。→ 伊勢桑名城主 本多忠勝供養塔
父とともに家康に仕え、天正18年(1590)小田原征伐で初陣を果たし、父とともに岩槻城を攻めて軍功をあらわした。
そして、家康の長男 岡崎三郎信康の次女 熊姫を娶っている。→ 姫路城主 本多忠政供養塔

熊姫(妙光院)(1577-1626)は、松平信康の次女として岡崎城に生まれた。母は、徳姫(織田信長長女)である。
天正7年(1579)に父が切腹した後は、祖父徳川家康と側室の西部局に養育された。
本多忠政の正室となった後、3男2女を儲けた。
寛永3年(1626)6月25日に死去し、墓所は姫路の久松寺にある。
当地の五輪塔を建立したのは、次男の本多甲斐守政朝と三男の本多能登守忠義である。



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