筑後久留米有馬家供養塔(25町石)は、和歌山県高野山奥の院の25町石北にある。
筑後久留米藩有馬家初代藩主 有馬豊氏の五輪塔が中央に配され、背後に2基の小型五輪塔がある。
有馬豊氏五輪塔の地輪前面には、次のように刻されている。
筑後久留米城主有馬玄蕃頭
源朝臣豊氏公大菩提追薦矣
春林院殿前拾道
(梵字) 補闕如夢道長大
居士頓證佛果
施主孝子有馬中務少輔忠郷建立
于時寛永二十未癸天九月晦日敬白
有馬豊氏(ありまとようじ)(1569-1642)は、江戸時代前期の大名である。通称は玄蕃頭。
有馬則頼の次男として生まれ、豊臣秀吉につかえ遠江横須賀3万石城主となった。
関ヶ原の戦いで、父とともに東軍につき功をたて、丹波福知山6万石に入封された。→ 福知山城
大坂の陣でも徳川方として参陣活躍し、元和6年(1620)筑後国久留米藩(21万石)主有馬家初代となった。
茶にもすぐれ、利休七哲のひとりである。寛永19年9月30日に死去した。(74歳)
当地の五輪塔は、有馬中務少輔忠郷(久留米有馬藩第2代藩主 有馬忠頼)によって、豊氏の一周忌に建立された。→ 筑後久留米有馬家供養塔
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