福知山城

福知山城は、兵庫県福知山市の朝暉ケ丘丘陵(旧名 横山)にある。別名臥竜(がりゅう)城とも呼ばれた。
この地は、中世後期に豪族塩見氏が横山城と称する城館を築いたといわれる。
天正7年(1579)8月、丹波の諸城を攻略していた明智光秀に攻められ落城した。
光秀は、この城を奥丹波の要衝として重視し、堤防を築いて由良川の流れを変え、縄張りをして城下町を造ったといわれ、近世福知山城の原型は、明智光秀の時に築かれた。
その後、光秀は娘婿の明智秀満を城代として入れ、この地の統治を任せた。
本能寺の変後の山崎合戦で、光秀と秀満は滅ぼされ、羽柴秀長をはじめとした城主を迎え、改修と増築が進められた。
本格的な城郭は、慶長5年(1600)徳川家康によって6万石を与えられた有馬豊氏の時代に完成した。
江戸時代に入り城主は頻繁に変わったが、寛文9年(1669)朽木稙昌(たねまさ)が、常陸国土浦から入部して以降は、明治維新に至るまで約270年間、朽木氏が藩主を務めた。
明治6年(1873)の廃城令で、天守周辺の石垣や銅門を残して城の大半は失われた。
昭和に入り、市民の「瓦一枚運動」等もあり、昭和61年(1986)に3層4階の望楼型の天守などが再建された。
天主閣内は、福知山市郷土資料館として、考古資料や歴史文書が展示されている。

天守台から本丸にかけての石垣は、野面積(のづらづみ)という積み方で、多くの五輪塔や宝篋印塔などの石造物が転用石として利用されている。
天主閣の東側にある豊磐の井(とよいわいのい)は、深さ50mで地下の水脈まで岩盤を掘り下げており、日本有数の深さを誇っている。
豊磐の井の北側には、藩祖 朽木稙綱公を祭神とする朝暉神社がある。
天守北東には福知山市佐藤太清(たいせい)記念美術館がある。
平成2年(1990)に開館したもので、文化勲章受章者の日本画家 佐藤太清(1913-2004)の作品が展示されている。
JR山陰本線及び福知山線で福知山駅下車、徒歩15分。東側に福知山城公園観光駐車場がある。



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