奥の院 一切経蔵は、和歌山県高野山奥の院燈籠堂の東北にある。
資料によっては、「経蔵」「奥院経蔵」「一切経蔵」「金剛峯寺奥院経蔵(おくいんきょうぞう)」とも記されている。
江戸時代に作成された紀伊続風土記には、次のように記されている。
〇経蔵
寶形造 方三間 檜皮葺 高麗本の一切経を収む
経蔵正面の扁額には、次のように記されている。
(表面)
當輪蔵造営同
一切経奉納之
近江国坂田郡
石田治部小輔
藤原朝臣三成
為慈母菩提也
(裏面)
本願木食興山上人深覚房応其
金剛峯寺奥院経蔵之銘
慶長四己亥年三月二十一日記之
このように正面の扁額に、石田三成が母堂の菩提を弔うために、慶長4年(1599)に建立したことが記されている。
また、高野山使僧として豊臣秀吉との交渉にたずさわり、和睦を取りまとめた上で金堂や大塔の再興にあたった木食応其が本願であったことも確認できる。→ 応其上人ゆかりの地
塗装のない白木で簡素な外観となっているが、内部の壁面には、極彩色で羅漢図が描かれ、柱頭や長押には華やかな彩色が施されている。
間仕切りのない経蔵内部には、本尊文殊菩薩騎獅像を正面に、中央に輪蔵(りんぞう)と呼ばれる経典を納めるための八角形平面の棚が設けられ、高麗版一切経6285帖が納められた。
大正11年(1922)に重要文化財に指定されている。
(写真撮影禁止地域のため、写真はありません。)
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期