いわで御殿は、和歌山県岩出市の紀ノ川沿いにある。
現地の案内板には次のように記されている。
いわで御殿の由来と沿革
昔からこのあたりには風光明媚な小山があり、周辺の人々に景勝地として親しまれてきました。
そこに妙見堂という建物がありましたが、慶安二年(一六四九)紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣がこれを和歌浦に移した後、その跡地に別荘を築かれたそうです。
この建物を「巌出(いわで)御殿」と呼び、歴代藩主が参勤交代の時など、ここに宿泊していたそうです。八代将軍吉宗も幼少の頃は、ほとんどここで過ごしていたと伝えられています。
この地からは大台ケ原や吉野に源を発する紀の川、箱山、紀州富士の名で知られる龍門山の美しい姿を望むことができます。
また当時は岩出の地名どおり川の中には人とり岩・畳岩・なまず岩・えぼし岩や車岩などと呼ばれる奇岩が点在していたそうです。
さらに上流は我国有数の材木の産出地でしたので、筏が下り、景観に風情を添えていたと思われ、紀州家が別荘を建てていたことがなるほどと頷ける景勝の地であったと思われます。
巌出(いわで)御殿は、宝暦一四年(一七六四)に取り壊された後、時代の流れとともに大阪では八州軒、横浜では臨春閣と所・名前を変えながらも、現在は横浜市・三渓園に「臨春閣」として国の重要文化財に指定され当時の姿を残しています。
さてこの地は、巌出(いわで)御殿が取り壊された後、御殿山と呼ばれ昭和のはじめ頃まで公園として地元の人々に親しまれていましたが、
奇岩のあった辺りが川の流れの障害となり再三にわたる岩出の水害の原因となっていたので川幅を広げるため、奇岩及び御殿山の一部を取り崩すことになり、かつての姿は失われています。
岩出市
現在は、地域交流の場、住民の憩いの場としての入浴施設となっている。
また、敷地内に勤操塚跡の石碑が建てられている。
JR和歌山線岩出駅下車、徒歩10分。利用者用の駐車場がある。
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