多宝山 実報寺は、京都市東山区にある日蓮宗の寺院である。
康正2年(1456)に建立されたといわれる。
境内墓地には、日尊(にちぞん1265-1345)と2世日大の石塔婆や、江戸時代の筝曲家 生田検校の墓がある。
参道入り口には、浄瑠璃「近頃河原の達引」で登場する「お俊伝兵衛」のはかの石碑ががあり、本堂東側には、「妙法」「宗釈信士・妙秋信女」と刻まれた墓石が残されている。
浄瑠璃「近頃河原の達引」は、元禄16年(1703)のお俊と米屋庄兵衛の四条河原の心中、あるいは元文3年(1738)井筒屋伝兵衛と遊女おしゅんの聖護院の森での心中が元になったとされている。→ 積善院 凖提堂
これに四条河原で起きた刃傷沙汰の喧嘩、親孝行を表彰された堀川の猿廻しの話題をからめて脚色した、上中下三巻本の世話物である。
作者については、為川宗輔、筒井判二、奈河七五三助の合作とも、中村重助とも言われているが、詳細は不明である。
鈴木多美氏は、外題について、現在は「ちかごろ」を読まれるが、昔は「ちかいころ」と読み、二つの心中の内、元禄年間でなく元文年間の「近い頃」の心中話だと言いたかったのではないかとしている。→ 演目ひとくちメモ
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