舒明天皇陵、段ノ塚古墳は、奈良県桜井市忍阪にある。
宮内庁が管理しており、陵前には「舒明天皇押坂内陵(じょめいてんのう おさかのうちのみささぎ)、敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子妃 糠手姫皇女押坂墓」と表示されている。
日本書紀によると、舒明天皇は皇極天皇元年12月21日に「滑谷岡」に葬られ、翌年9月6日に押坂陵に改葬された。
延喜式(諸陵寮)には、
「押坂内陵 高市崗本宮御宇舒明天皇、在大和国城上郡」
「押坂墓田村皇女、在大和国城上郡、舒明天皇陵内」
と記されているので、舒明天皇の母 糠手姫皇女(田村皇女)が、舒明天皇陵に合葬されたと考えられている。
宮内庁では、陵形を「上円下方」としているが、近年の調査で我が国最初の八角墳であると確認された。→ 八角墳と飛鳥時代後半の天皇陵
内部構造は、巨石を用いた石室があり、「山陵考」によると、19世紀の中頃に御陵南側が崩壊した際に、石室内に2基の石棺があり、奥の棺は横向き、前の棺は縦向きに安置されていたという。
石棺形式は、家形石棺と考えられている。
また藤原鎌足の妻鏡女王の「押坂墓 鏡女王、在大和国城上郡押坂陵域内東南」、舒明天皇皇女 大伴皇女の「押坂内墓 大伴皇女、在大和国城上郡押坂陵域内」は、
それぞれ舒明天皇東方約50mの小字女塚(めづか)にある円墳とその上方50mの円墳に比定されている。
近鉄、JR桜井駅からバスで忍坂下車、徒歩10分。
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