八角墳と飛鳥時代後半の天皇陵

八角墳は、飛鳥時代の後半において、天皇陵として造営された。
舒明天皇から文武天皇に至る歴代天皇(孝徳天皇を除く)に採用されている。

それまでの天皇陵は、敏達天皇陵までは前方後円墳、推古天皇陵までは方墳であった。
ここで新たに八角形墳を採用したのは、天皇が他の豪族とは違う存在であることを、古墳においても誇示する必要があったと考えられている。
そこで中国の思想などを取り入れた、それまでのわが国にはなかった独自の墳丘形式を採用した。
(「飛鳥・藤原の宮都を語る」相原嘉之氏 参照)

和歌で、「やすみしし(八隅知し、安見知し)」という枕詞がある。
これは、「わが大君(天皇)」「わご大君」にかかる枕詞で、「八隅知し」とは、「国の八隅を知ろしめす」「国の隅々までお治めになっている」との意味が込められており、天皇陵と八角墳の関係を伺い知ることが出来る。
(令和6年高松塚壁画館 企画展 牽牛子塚古墳 今昔物語 参照)

時代  天皇名   八角墳 備考 
 


代 
 33代 推古天皇    蘇我系(方墳) 植山古墳 推古天皇磯長山田陵
   34代 舒明天皇  〇  舒明天皇陵 段ノ塚古墳
   35代 皇極天皇  〇  斉明天皇(重祚)
   36代 孝徳天皇    孝徳天皇 大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)
   37代 斉明天皇  〇  牽牛子塚古墳
   38代 天智天皇  〇  天智天皇山科陵
   39代 弘文天皇    大友皇子
   40代 天武天皇  〇  天武・持統天皇陵
 (檜隈大内陵)
 
   41代 持統天皇  〇
   42代 文武天皇  〇  中尾山古墳



代 
 43代 元明天皇    
   44代 元正天皇    
   45代 聖武天皇    
   46代 孝謙天皇    

(令和6年(2024) 高松塚壁画館 冬季企画展 中尾山古墳展 参照)



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