宿松山海会寺は、堺市にある臨済宗東福寺派の寺院である。
元弘2年(1332年)、前太政大臣洞院公賢が大檀越となって海会寺を創建し、東福寺の開山聖一国師三世の乾峯士曇(けんぼうしどん)を開祖として招いた。
当時は、開口神社の西門前にあり、300石の寺領、6ケ寺塔頭を有していた。
この開口神社付近の旧地には、泉南第一の名泉といわれた金龍水(こんりゅうすい)という乾峯士曇ゆかりの井戸が残っており、現在の甲斐町山ノ口筋を海会寺前というのは、この旧称を伝えたものである。
あるとき旱魃となり、鬼面龍神に祈ると、白髪老人が現れ、鶴の羽を地上に敷き露が多く浮かんだところを掘るべしと言ったため、そこを掘ると金龍水が湧き出たといわれている。
金龍井は、徳川時代から大正時代に亘り、豆腐製造に適し、豆腐屋井戸の異名を残した。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で焼失した後、南宗寺の住職であった沢庵宗彭(たくあんそうほう)の助力により、現在の地に再興された。
江戸時代初期に建築本堂及び庫裏は、一棟建てという珍しいもので、一体となっている。門廊とともに、国の重要文化財に指定されている。
本尊は阿弥陀如来で、入母屋造りの本堂南側には方丈石庭「指月庭」がある。
牡丹花詩集は、文和5年(1356年)に、円覚寺の第25世を継いでいた乾峯士曇が牡丹を賞でたところ、各地の禅寺の詩友が七言律詩で唱和してくれたので、その盛事を清書させ、士曇自ら「牡丹詩序」を書き一帖としたもので、堺市指定有形文化財となっている。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した臨済宗の僧、文栄清韓(ぶんえいせいかん)は大坂の陣のもとになった方広寺の鍾銘「国家安康、君臣豊楽」を書いた人として知られ、当寺の住職時の墨蹟屏風が残されている。
内部は、春と秋の堺文化財特別公開期間中に参観できる。
阪堺電気軌道阪堺線御陵前駅下車、徒歩5分。(Y.N)