覚海廟(覚海社)は、和歌山県高野山遍照尊院南側の遍照岡(へんじょうおか)にある。
貞応2年(1223年)82歳で亡くなった高野山37代検校、覚海大徳(1142-1223)の墓所と言われている。
井村真琴の記した「高野のしをり」には、次のように記されている。
覚海上人を祀る。上人は但馬の人 和泉守雅隆の男也。
神悟天発 教義精絶、花王院を創立して講席を張る 実に一世の棟梁也
覚海は、高野山の宝門と壽門の二代学派の始点と位置づけられている。
覚海が法性(?-1245)に授けた而二門は、宝性院宥快(1345-1416)が宝門(宝性院学派)とした。
また覚海が道範(1178/1184-1252)に授けた不二門は、無量壽院長覚(1340-1416)が壽門(無量壽院学派)とした。
覚海は、高野山の4大天狗の一人としても知られる。
無住(1226-1332)が記した沙石集には、高野山第37代検校の覚海が7回の生まれ変わり(七生)を弘法大師に教えてもらったとの伝説が紹介されている。
その七生とは、1ハマグリ、2犬、3牛、4馬、5熊野の柴灯係、6高野山奥之院の承仕、7高野山検校(覚海)である。
そして覚海は亡くなるときに、次は天狗になって秘密の法を守ると告げられたという。
覚海は亡くなると、貞応2年に高野山壇上伽藍中門の扉を翼にして、増福院山門の前にある杉の木から翔して天狗となり、高野山を守っているといわれている。(「昇天の杉」)