増福院

増福院は、和歌山県高野山の霊宝館北側にある真言宗の別格本山である。
本尊は、愛染明王である。
寺伝によると、多田満仲の孫仲光の三男源賢和尚の開基で、寺名は一門の「福祐増進を祈るべし」という請願が由来と言われる。
当院は、華王院(けおういん)、常住光院、上就院を併合してきており、明泉院の名跡を持っている。
華王院(花王院)を開いたのが鎌倉時代初期の僧 覚海(1142-1223)で、門前に「覚海大徳翔天之舊跡」の石碑がある。
無住(1226-1332)が記した沙石集には、高野山第37代検校の覚海が7回の生まれ変わり(七生)を弘法大師に教えてもらったとの伝説が紹介されている。
その七生とは、1ハマグリ、2犬、3牛、4馬、5熊野の柴灯係、6高野山奥之院の承仕、7高野山検校(覚海)である。。
そして覚海は亡くなるときに、次は天狗になって秘密の法を守ると告げられたという。
覚海は亡くなると、高野山中門の扉を翼にして、増福院山門の前にある杉の木から昇天して天狗となり、高野山を守っているといわれている。(「昇天の杉」) →覚海廟
谷崎潤一郎は、昭和6年(1931)高野山滞在中に増福院を訪れ、鷲峰住職から覚海大徳の話を聞くとともに、古文書を筆写した。
同年、谷崎は、南紀芸術二号に「覚海上人天狗になる事」を掲載している。
南海高野線高野山駅からバスで、霊宝館前下車すぐ。



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