阿波野青畝句碑

阿波野青畝(あわのせいほ)句碑は、和歌山県高野山の増福院山門前にある。
石碑には、次のように刻されている。
 (前面)牡丹百二百三百門一つ 青畝
 (裏面)昭和五十八年十一月廿日 総本山金剛峯寺 
                かつらぎ主宰 阿波野青畝

昭和25年(1950)5月に南海電鉄の企画で、島根県大根島の牡丹千株が高野山に植樹され、第1回牡丹句会が催された。
石碑の句は、翌年6月に高浜虚子を迎えて開催された第2回牡丹句会席上の作品である。
阿波野青畝(1899-1992)は、大正、昭和、平成時代の俳人である。
明治32年2月10日奈良県に生まれた。本名は橋本敏雄で、後に阿波野家を継いだ。
畝傍中学在学中から原田浜人(ひんじん)に俳句を学んだ。
その後、高浜虚子に師事して、昭和初頭、水原秋桜子、山口誓子、高野素十とともに、ホトトギスの四Sと称された。
昭和4年(1929)俳誌「かつらぎ」を創刊して、関西俳壇の重鎮として活躍した。
昭和48年(1973)第7回飯田蛇笏賞、平成4年(1992)日本詩歌文学賞を受賞している。
句集として、万両(1931),、国原(1942)、春の鳶(1952)、紅葉の賀(1962)、甲子園(1972)、不勝簪(ふしょうしん)(1980)などがある。
平成4年(1992)12月22日に93歳で亡くなった。


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