関東大震災霊牌堂(供養塔)は、和歌山県高野山奥の院の一の橋東側にある。
大正12年(1923)9月1日午前11時58分に関東地方南部で大震災が起こった。
震源地は相模湾北部、地震の強さは最大震度7、規模はM7.9であった。
ちょうど昼食時であったため、家屋倒壊に伴い134ヶ所で火災が発生し、9月3日午後2時に鎮火した。
死者9.1万人、行方不明1.3万人で、焼失家屋は40万戸に上った。
当時の東京市長永田秀次郎は、私財を投じてこの霊牌堂を建立して、犠牲者の冥福を祈った。
霊名簿は、一万年保存に耐えるように作成された。
奉祀者は、5万4千5百余人、内皇族3人、外国人2百余人である。
当地には、永田秀次郎の墓所、寛演歌碑、永田青嵐句碑もある。