片山御子神社は、京都市北区の上賀茂神社(賀茂別雷神社)の第一摂社である。
現地の案内板には、次のように記されている。
賀茂別雷神社 第一攝社 片山御子神社
祭神 玉依比賣命 一柱一座
延喜式内の古社である。
「延喜式」には、「片山御子神社 大、月次 相嘗、新嘗」と載せている。
賀茂縣主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に待ってお仕え申し上げておられたのである。
よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先づ当神社に祭を行う例となっている。
それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭は、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
古来第一攝社と崇められている。
事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが縷々あった。天正十九年六月十一日正一位を奉られている。
古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を懼れて地下に埋没したという。
片山御子神社は、片岡社とも呼ばれており、縁結び、子授け、安産の神様として知られている。
源氏物語の作者である紫式部は、当社に参拝祈願した際に下記の和歌を詠んでいる。→ 紫式部ゆかりの地
賀茂にまうでて侍りけるに、人の、ほととぎす鳴かなむと申しけるあけぼの、
片岡の梢おかしく見え侍ければ
ほととぎす 声まつほどは 片岡の
もりのしづくに 立ちやぬれまし
(「新古今和歌集」巻第三 夏歌)
(通釈)
ホトトギス(将来の結婚相手)の声を待っている間は、
この片岡の杜の梢の下に立って、朝露の雫に濡れていましょう
※ホトトギスと共に片岡の杜もまた素晴らしいという意味
当社南側にある「岩上」の隣 灯篭脇には、京都北ライオンズクラブの奉納した上記和歌の歌碑がある。→ 紫式部歌碑(上賀茂神社)
なお、祭神については、事代主神とする説、詳らかでないとする説などもある。
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