恋塚 浄禅寺は、京都市にある。
j浄禅寺は、恵光山(えこうさん)と号する浄土宗西山禅林寺派の寺院である。
寺伝によると、寿永元年(1182)文覚上人の開基で、境内に袈裟御前の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから、恋塚の名で知られている。→ 戀塚寺
平安末期の北面の武士 遠藤盛遠(えんどうもりとお)は、渡辺左衛門尉渡(さえもんのじょうわたる)の妻 袈裟御前に恋をし、渡と縁を切ることを迫ったところ、袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、操を守るため自分が夫の身代わりとなって盛遠に殺されてしまうという悲恋の物語が伝わっている。「源平盛衰記」では、袈裟御前の美しさと情の深さが記されている。
自分の罪を恥じた盛遠は出家して文覚上人となり、袈裟御前の菩提を弔うために当寺を建立したとされている。
本堂には、12世紀に作られた本尊阿弥陀如来立像を安置し、観音堂には、10世紀の作とされる十一面観音立像(市指定有形文化財)を祀っている。
五輪塔前にある恋塚碑は、正保4年(1647)永井直清(ながいなおきよ)が林羅山を撰者に建立したと伝えられている。
また地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代初期 小野篁(おののたかむら)が一度息絶えて冥途へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んた六体の地蔵の一つと伝えられ、一般に「鳥羽地蔵」と呼ばれている。
毎年、8月22日と23日の京都六地蔵巡りには、多くの参拝者でにぎわう。
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