小松宮彰仁親王御旧跡は、和歌山県高野山の別格本山総持院に建てられている。
小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王(弘化3年(1846年)-明治36年(1903年))は、幼名を豊宮といい、安政5年(1858年)に親王宣下を受け、
同年9月25日に仁和寺第三十世純仁法親王となった。
慶応3年(1867年)に復飾し、仁和寺宮嘉彰親王(後の小松宮彰仁親王)と称した。
慶応4年には、鳥羽伏見の戦いにおいて出陣、軍事総裁をはじめ海陸軍務総督などに任じられ、戊辰戦争に加わり、奥州討伐総督として官軍の指揮を執った。
仁和寺には、彰仁親王の軍服や軍帽、新政府軍の旗印となった「錦の御旗(縦約300センチ、横65センチ)が所蔵されており、
平成30年4月27日から5月6日まで特別に公開された。
国際親善にも熱心で、ヨーロッパ各国を歴訪した。1887年に夫人とともにトルコを訪問した際には、アブデュルハミト2世に会い、明治天皇からの勲章を手渡した。
その答礼として、オスマン提督の指令の元軍艦エルトゥールル号が東京へ派遣され、公式代表団は明治天皇に会っている。
その帰路にエルトゥールル号が串本で遭難し、多くの犠牲者が出たが、当時の村人は献身的に救助活動を行ったことで知られる。
総持院正門西側の石碑には、次のように刻されている。
(正面) 小松宮彰仁親王御旧跡
(右面) 現住秀善代
(左側) 高野山門主前官 隆俊書
(裏面) 妙蓮和光童子
淑徳院秋蓮放光大姉
為供要吉田春吉是建
また、小松宮彰仁親王(楞厳定院御室)の位牌が、総持院本堂に安置されている。
別格本山総持院の「登龍の藤」は、小松宮彰仁親王が名付けたもので、5月初旬前後には独特の幹の上に、白い花が咲き誇る。
金剛峯寺第411世座主 資延敏雄(すけのぶびんゆう)氏は、「高野山金剛峯寺随想」において、「登龍の藤」を次のように紹介している。
高野山の雪月花
お大師さまの詩文には、高野山の雪月花がいたるところで詠まれています。雪月花とは、四季折々
に楽しむ眺めと解します。私は、色紙を所望されたとき、雪月花と書き、下方に高野山と書きます。
高野山の雪月花を思い起こし、想いをお山に馳せていただきたいと念ずるからです。お大師さま
が高野山に登られているときに、友人の良岑安世(よしみねのやすよ)から手紙が届きました。
そのお返事が私の好きな文章の一つで、性霊集巻第一の七「山中有何楽」です。
山鳥 時に来りて歌うこと一奏
山猿 軽く跳って伎は倫(ともがら)に絶えたり
春華 秋菊 笑って我に向い
暁月 朝風 情塵を洗う
高野の山鳥が身近に飛んできて美しい音色で歌を一曲きかせてくれる。山猿が軽々と木から木へととび移り、
すばらしい演技をみせてくれる。春がきて咲く花、秋になって薫る菊の花も私に向かって「こんにちわ」と
語りかけてくる。夜明けの月も、すがすがしい朝の風も、こころの塵とけがれを洗ってくれた。
自然と一つになり、お大師さま自ら小鳥や山猿と一体となり、春の花や秋の菊ににこやかに迎えられる。
お互いに天地大自然のいのちの中で、くったくもなく自然に生きている。山の中にあって、
こころのけがれも消えて生かされ生きている。心境は何物にもかえがたい。楽しみである---と。
ある日の朝、一座の修法を終え庭へ出ました。よく晴れた朝でした。勅使門の西のくぐり戸をあけて
伽藍に向かいます。大塔、金堂、御社、御影堂から中院におりて帰路につきました。
久し振りの道です。今まで気が付かなかったのですが、とても素晴らしい花の匂いが漂ってきました。
それは本山の西隣りの総持院さんの門のあたりからです。門の前で足をとめました。
境内一杯に拡がった見事な藤棚です。二十メートル角の棚の上に真っ白な花が天を向いて見事に咲き揃い、
芳香を放っているのです。手入れの行き届いた境内です。思わず門から中に入って藤に近づきました。
藤は大抵は棚から花が下に下がっているのに、なんと天に向かって頭をそろえて咲いている白い花の群がりを見て、
ただただ驚くばかりでした。蔦が中心に集まって幹になったかと思うと棚のところで四方に分かれて伸びています。
朝の多忙の時間で、御挨拶を遠慮していましたが、私のことを奥に知らせたのか、院家さんが出てこられました。
御挨拶を申し上げ御説を拝聴しました。現在高野からは古伝の藤の銘木はすべて姿を消して
惟一株、この「登龍の藤」だけが残っているそうです。明治三十四年、小松宮彰仁親王が御登嶺の時、
その芳香を尋ねて親しくご覧になられ「登龍の藤」と命名された由です。上綱さんの説明を拝聴し、
この「登龍の藤」の姿をまだ知らない方々にもお伝えしたい気持ちで、上綱さんから写真を数枚いただいたので
掲載しました。花には咲く時期があり、私もその時期を失するところでありました。
この藤との出会いは高野の山での貴重な思い出となりました。高野吟行の句に「七堂伽藍巡りて高野の余花にあう」との一句があります。
また禅語の「花を弄すれば香り衣に満つ」という語もこの風景にぴったりです。