誉田林古戦場址

誉田林古戦場址石碑は、大阪府羽曳野市誉田八幡宮境内の中ほどにある。
誉田八幡宮の付近は、南北朝、室町、戦国の各時代から江戸初期の元和年間にかけて戦略上の要地であったため、再三戦場の舞台となった。
南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟と南朝方の楠木正行の間で合戦があった。
楠木正行は、金剛山を本拠として、摂津、住吉、天王寺近辺に出陣していたため、将軍足利尊氏が激怒して、細川顕氏を大将にした軍勢を河内に送った。
楠木正行は、金剛山から約30㎞離れた矢尾城を襲うと見せかけて、誉田八幡宮周辺に兵を潜ませて、合戦は後日かと油断した細川勢を急襲した。
太平記巻第25には、合戦の様子が描かれている。
室町時代中期の享徳年間には、畠山政長と義就の間で、何度か誉田合戦が繰り広げられた。
永正元年(1504)には、畠山稙長(たねなが)と義英の間で、合戦後の和議、「誉田八幡宮社前の盟約」が結ばれている。
大坂夏の陣では、豊臣方の武将 薄田隼人正が、誉田八幡宮境内に陣を敷き、当地から出撃して、道明寺近辺で討ち死にした。
近鉄南大阪線古市駅下車、徒歩10分。参拝者用の駐車場がある。


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