史跡高麗陣敵味方戦死者供養塔

史跡 高麗陣敵味方戦死者供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
慶長4年(1599)に薩摩藩主島津義弘、忠恒の父子が、豊臣秀吉の朝鮮出兵の犠牲者の霊を供養するために建てたもので、日本武士道の博愛精神が示されたものとして知られている。
高さ3.85m、幅81.8cmの位牌形(石造笠塔婆型)の碑の中央に「高麗国の陣中で討ち死にした敵味方の兵士を仏道に入れ令(し)めんが爲也」と記され、
右側の銘文で明の将兵の供養を記し、次いで左の銘文で部下の将兵を供養している。
明治19年(1886)に日本が国際赤十字条約に加盟した時には、戦国武将の赤十字精神として注目された。
供養碑の左奥にある三重塔は、島津氏が琉球から持ってきたものと言われたが、後年の台風で倒壊し再建された。
英文訳の碑は、島津忠重が明治41年(1908)に建立した。
昭和33年4月に和歌山県の文化財に指定されている。



慶長二年八月十五日於全羅道南原表大明國軍兵数千騎被
討捕内至當手前四百二十人伐果畢
同十月朔日於慶尚?泗川表大明人八萬餘兵撃亡畢
爲高麗國在陣之間敵味方鬨死軍兵皆令入佛道也
右於度ゝ戦場味方士卒當弓箭刀伏被討者三千餘人海陸之
 間横死病死之輩具難記矣 薩州嶋津兵庫頭藤原朝臣義弘建之
慶長第四己亥歳六月上澣    同子息忠恆

(紀伊國名所図会と現地写真をもとに作成)
(中央の四行目の字が大きく刻まれ、中央上部には胎蔵界大日如来をあらわす梵字が入っている。)


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