熊野速玉大社は、和歌山県新宮市にある神社である。
熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山の一社で、別名新宮(にいみや)といい、それが新宮市の名称の由来となった。
伝承によると、速玉大社の南にあるゴトビキ岩の神倉山に結神(むすびのかみ)、速玉神(はやたまのかみ)、家津御子神(けつみこのかみ)の三神が降臨した。
いずれも後に熊野三山の主神となる神である。
これらの神は、やがて対岸の貴祢谷社(きねがたにしゃ)に遷ったが、家津御子神は熊野川を遡り、今の本宮の地に鎮まった。
その後結神と速玉神は、今の速玉大社の地に新しい宮を造営してそこに鎮まったので、神倉山の古宮(元宮)に対して、その地を新宮と呼ぶようになった。
孝謙天皇からは、「日本第一大霊験所」の勅額が下賜された。
文献上は、「新抄格勅符抄」で天平神護2年(766年)に熊野牟須美神と速玉神にそれぞれ4戸の封戸が与えられたとあるのが初出で、その後朝野の崇敬を受けて急速に発展し、天慶3年(940年)に正一位に叙せられ、延喜式では名神大社となった。
平安時代から江戸時代は、いわゆる「熊野詣」で賑わい、拝殿前には、141回の上皇等の熊野御幸の記録石碑が建てられている。
祭神は13神で、第一殿が結大神、第二殿が速玉大神、第三殿が家津御子命と国常立命(くにとこたちのみこと)が祀られている。
神宝館は、約千点もの古神宝類を所蔵し、一括して国宝に指定されている。
神宝館前には、樹齢800年といわれる御神木の梛(なぎ)の巨木があり、平治元年(1159年)に社殿の落成記念に平重盛が手植えしたと伝えられており、国の天然記念物に指定されている。
JR紀勢本線新宮駅下車、徒歩15分。参拝者用の無料駐車場がある。
毎年、10月には熊野速玉大祭が行われる。
10月15日は本殿大前ノ儀の後、神馬渡御式(陸渡御式)がある。
速玉大神が、宮司の懐中にいだかれて旧摂社阿須賀社に向か、阿須賀社からは、神霊を神馬に奉安して速玉大社に還御する。
翌日の10月16日には、御船祭(船渡御祭)で、九艘の早船が、熊野川大橋の下札場から熊野川の急流を約2km遡り、御船島の周りを左から3回廻り、「上札場」への先着を競う。
その後、斎主船が雅楽を奏で、諸手船では「ハリハリ踊り」が行われ、神幸船とともに、島を三回廻り上札場に到着し、ご神体が御旅所へと向かう。
千数百年以上の伝統を有し、九隻もの早船が漕ぎまわる神事は全国に類例がない。