鞍馬寺

鞍馬寺は、京都市左京区鞍馬本町にある鞍馬弘教(こうきょう)の総本山である。
松尾山(しょうびざん)金剛寿命院(こんごうじゅみょういん)と号する。
開山当時は律宗、その後真言宗、天台宗となり、昭和24年(1949)に天台宗を離脱して単立寺院となった。

「鞍馬蓋寺(あんばがいじ)縁起」によると、鑑真の弟子 鑑禎(がんちょう/がんてい)上人が、宝亀元年(770)鞍を負った白馬の導きで当山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりである。
さらに延暦15年(796)、造東寺長官の藤原伊勢人(いせんど)が、観世音菩薩を祀る霊地を求めていたところ、貴船明神(きぶねみょうじん)の導きで当地に至り、観音像を刻んで毘沙門天の脇に安置し、伽藍を造営したのが現在の鞍馬寺の起源といわれる。

寛平年間(889-898)には、東寺の十禅師峯延(じゅうぜんじぶえん)上人が鞍馬寺の別当になり寺域が整備されて、中興の祖と言われている。
峯延上人が護摩の修行中、襲ってきた大蛇を法力で斃し、朝廷から賜った人夫がそれを切り刻んで龍ケ嶽に捨てたと伝えられ、これが「竹伐り会式」の起源となった。
朝廷武家庶民の幅広い信仰を集め、白河上皇や関白藤原師通(もろみち)の参詣や清少納言の来山などの記録が残されている。
山の精霊である天狗が住む山としても有名で、7歳から10年間東光坊で修行したと伝わる牛若丸(源義経)ゆかりの「息次ぎの水」や「背比べ石」などの史跡がある。
境内にある由岐神社の少し北、東光坊の跡地と言われる場所に源義経公供養塔が建てられている。

本殿金堂には、千手観音、毘沙門天、護法魔王尊が、月、太陽、大地をあらわして、三身一体(さんじんいったい)尊として祀られ、「尊天」と呼ばれる。
国宝の木造毘沙門天三尊像、鞍馬寺経塚遺物のほか、多数の寺宝を有しており、鞍馬寺霊宝殿に展示されている。
大正、昭和期の復興に努めた信楽真純(しんじゅん)(後に香雲と改名)が与謝野晶子の直弟子であったことから、昭和51年(1976)に晶子の書斎「冬柏亭(とうはくてい)」が移築され、与謝野鉄幹晶子夫妻の歌碑が建立されている。
叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅下車、本殿金堂まで徒歩約30分。山門駅からケーブル利用で多宝塔駅下車徒歩5分。



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