国史跡 丸山古墳

国史跡 丸山古墳は、奈良県橿原市にある。
現地の案内板には次のように記されている。

国史跡(昭和44年5月23日指定) 丸山古墳 平成31年3月 橿原市教育委員会
古墳の概要
 古墳時代後期(6世紀後半)に築かれた巨大な前方後円墳です。
明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)から西方へ広がる丘陵の西端部を利用して築かれており、前方部を北西に向けています。
墳丘の周りには、周濠と周堤が構築されています。
 古墳の規模は墳丘長約330m、後円部径約150m、同高約21m、前方部幅約210m、同高約15mを測ります。
奈良県内で最大、全国でも6番目の大きさです。墳丘長は東京タワーの高さにも匹敵します。
古墳一帯は、後世に農地として利用されるなど大幅な土地改変が行われており、その様子が測量図でも確認できます。
現在の国道169号線も実は、墳丘北西隅に該当する位置を通過しているのです。
日本最大の横穴式石室
 後円部上段付近は、宮内庁が管理する畝傍陵墓参考地に指定されており、立ち入りはできません。
その範囲内に南に開口する横穴式石室が存在しています。石室全長約28.4mを測る、全国でも最大規模の石室です。
長さ約20mもの非常に長い羨道をもつ点も特徴です。玄室内には2基の家型石棺が安置されています。
どちらも兵庫県加古川付近で採られた竜山石(たつやまいし)で作られています。
被葬者は----?
 丸山古墳の被葬者については議論が続いており、欽明天皇や蘇我稲目(そがのいなめ)などの名前が挙げられています。いすれも当時、国の中枢にあった人物です。
この時期以降、巨大前方後円墳は造られなくなり、墳墓の在り方が新たな形に変容していきます。
丸山古墳は、明日香村所在の平田梅山古墳(現・欽明天皇陵)とともに、『前方後円墳の時代』の終焉を示す遺跡として注目されています。

義江明子氏は、「ミネルヴァ日本評伝選 推古天皇」(2020年)で、推古天皇21年(613)2月20日に、推古天皇は、母 堅塩媛(蘇我稲目の娘)を、父 欽明天皇の「檜隈大陵」に改葬したことを記している。
そして、この「檜隈大陵」(延喜式では「檜隈坂合陵」)が、(五条野)丸山古墳にあたるとしており、被葬者は欽明天皇と堅塩媛と考えられている。
なお、義江明子氏によると、平田梅山古墳は、砂礫を葺き大柱をたてた「檜隈陵」に該当し、被葬者は蘇我稲目が有力であるとしている。
近鉄吉野線岡寺駅下車、徒歩5分。



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