木食應其上人供養塔

木食應其上人供養塔は、和歌山県橋本市の古佐田・橋本墓地にある。
昭和63年(1988)、應其上人380年法要で建立されたもので、各石碑には次のように刻されている。

<宝篋印塔>
(南面)應其上人供養塔
(西面)應其上人三百八十年法要記念
     現住 大 僧 正  松井隆性
     後住 中道観音寺 松井隆憲
     法類 五條西明寺 杉山了信
    昭和六十三年十一月九日 旧暦十月一日建之
(東面)應其寺 檀家一同 (以下略)

<案内石柱>
(西面)橋本の開基
     木食應其上人供養塔
(南面) 應其上人略伝
      應其上人は天文六年(一五三七年)近江国で生まれ三七才の時に高野山に登り木の実や野菜を食べながらひたすら仏道の修行に努めた 
      木食上人といわれる所以である
      豊臣秀吉が高野山攻略を企てたとき上人は一山を代表して秀吉と和睦を交渉し高野山を戦火から救うことができた
      その後秀吉の支援を得て大塔金堂などの造営修理にあたり高野山中興の祖として尊崇されている また各地の土木事業にも尽力した
      余生は生国でおくり慶長十三年十月一日飯道山で七十三才の生涯を閉じた → 応其上人ゆかりの地
(東面) 應其上人と橋本
      應其上人は天正十三年(一五八五年)近隣の里人をあつめ古佐田村の荒地を開き家を建て町を造り高野往還の宿所とした
      翌々年上人はここに草庵を建てて住み紀ノ川に長さ一三〇間(約二三五メートル)の橋をかけ交通の便をはかった
      橋本の地名はここから起こったのでありこの草庵は現在の中興山普門院應其寺となっている
      上人はまた豊臣秀吉からこの地に二十七石五斗五升の永代免許を与えられ塩市売買の免許をゆるされ恵比寿神を勧請し或は処々に池や堤を築き救世済民に力を尽くした
      隅田の岩倉池にある五輪塔や清水南馬場の平谷池にある板碑には上人の名が刻まれている
      このようにして近世橋本町の基礎が確立したのである
      應其上人三百八十年忌を記念してこの地に供養塔を建立し橋本開基の上人の遺徳を讃えるものである



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